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マテリアルベースでのリザバー演算素子の開発とロボティクスへの応用に成功― AIロボットが何を掴んだか判別 ―

更新日:2022.01.06

マテリアルベールでのリザバー演算素子の開発とロボティクスへの応用に成功

AIロボットが何を掴んだか判別

九州工業大学ニューロモルフィックAIハードウェア研究センター(センター長:田中啓文)の田中啓文教授、田向権教授(ともに本学大学院生命体工学研究科との兼担)らの研究グループは、大阪大学の小川琢治元教授、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のジムゼウスキー教授と共同で、単層カーボンナノチューブ(SWNT)*1/ポルフィリン(Por)*2-ポリオキソメタレート(ポリ酸、POM)*3複合体のランダムネットワークを人工知能素子の一種であるリザバー演算(RC)*4素子として応用し、ロボットアームのハンド部分から得られる触感信号をリザバー演算させることでロボットが何を掴んだのかを判別(把持物体認識)することに成功しました(図1)。ナノマテリアルに計算を担わせる「インマテリオ」*5リザバーデバイスによるロボット制御は世界に先駆けた研究の一例であり、将来的にはAIシステムの省エネルギー化や家庭内で働く自律ロボットの状況認識機能などに用いられることが期待されます。

本研究成果は、2022年1月4日(日本時間)にドイツの科学誌「Advanced Intelligent Systems」のオンライン版で公開されました。

ポイント

  • マテリアルベースのリザバー演算素子の開発に成功した。
  • 把持物体の認識にマテリアルベースのリザバー演算が応用できる可能性を初めて示した。
  • 開発したリザバー演算素子は近い将来に時系列予測や音声認識など複雑なAI問題への応用も期待できる。


■ 研究の背景
人間の脳を人工的に模倣するには、ランダムに接続されたニューロンとシナプスの動的な貯蔵庫(リザバー)を模倣することが必要で、これは人工ニューラルネットワーク(ANN)の登場により実現されました。さらに、ANNの一種であるリザバー演算(RC)は、貯蔵庫内での信号のランダムなフィードバックを忠実に再現して時系列データの学習を可能にし、その結果、RCは既存の深層ニューラルネットワークと比較して効率的かつ高速でシンプルな、より生物の脳の仕組みを繊細に模倣した機械学習アーキテクチャとして、将来のAIシステムの候補となっています。

RCソフトウェアの研究は多くなされています。しかしながら、ソフトウェアのみでの既存のコンピュータ上でのRCの実現は、トランジスタのサイズやムーアの法則に従った性能の限界により消費電力の点では困難で、ハードウェアからアプローチするパラダイムシフトが不可欠です。したがって、現在はソフトウェアに並行して物理的な挙動を演算ツールとして用いる物理リザバーに関する研究に注目が集まっており、これまでタコの足の挙動や光学系、磁気スピンの挙動などを用いた物理リザバーの研究が徐々に進んできました。

その中でも我々のように物理的挙動を示すマテリアル自身に演算を担わせるインマテリオRCの実装は非常に新しい試みです。マテリアル科学の分野では、特にナノマテリアルがその強い非線形伝導*6のために、リザバー構造を構築するための有望な選択肢となっており、時系列予測や音声分類のタスクを解決するために多くの研究に応用されています。


■ 研究の内容
今回、我々はマテリアル工学ベースのRCを用いて、ロボットアームの把持物体認識への応用の可能性を初めて示しました。SWNT/Por-POMのリザバーからなるランダムネットワークを作製し、トヨタ自動車株式会社の生活支援ロボット「ヒューマンサポートロボット(HSR)」のロボットハンドから得られた物体把持のセンシングデータを入力信号として使用することで、異なる把持物体を正しく分類するインマテリオRCタスクに成功しました。

我々はSWNTとPOMの複合体を用いたニューロン様のスパイク発生の実験結果を、2018年にNature Communicationsで報告したものの、同時にこの系でのRCの検討は理論予測で留まっていました。(H. Tanaka et al., Nat. Commun. 9, 2693 (2018). DOI: 10.1038/s41467-018-04886-2)

本研究では、まず上記理論予測を実験的に証明することを試みました。一次元構造を有するSWNTは溶液中で分散可能で、ろ過時にろ紙上にランダムな再帰的ネットワークの薄膜を容易に形成することができ、ろ紙を溶媒蒸気で溶かすだけで大面積のまま、あらゆる基板に転写可能です。この作製の簡便さによってリザバーを構造的に再現できます。この構造では、リザバー内のいずれかの場所で刺激を受けたときに、脳のようにネットワーク全体のパラレルな信号(情報)の流れを作ることが可能です。

リザバー部の非線形性を強めるため、今回はPor-POM分子を選択しました。POMは、遷移金属イオンが酸素原子で連結された直径1ナノメートル程度の粒子で、複数の電荷を蓄えることができ、POMの電荷容量は、ポルフィリンのようなドナー分子の存在下でバイアス印可時に大きく変化します。その結果、負性抵抗(NDR、バイアス上昇時の電流減少)*7を持つ非オーム性の電流応答が得られます。SWNTとポルフィリンには似たようなベンゼン環構造が存在するため、Por-POM分子は簡単な超音波処理によってSWNT表面に物理的に吸着することができ、SWNT/Por-POM複合体を簡単に作製することができます。


RC特性を基礎的に理解するために、等間隔多電極の間に配置されたSWNT/Por-POMランダム構造を用いてRCデバイス(図2)を構築しました。各電極からの出力電流応答を電気化学インピーダンス法(EIS)*8で調べたところ、大きさの異なる抵抗性-容量性のSNWT/Por-POM接合が存在し、その結果、脳のような不均一なネットワーク分布が見られました。脳内の神経細胞の数や結合密度は非常に不均一であり、それがデータ処理に有用です。脳内の情報は、一般的に神経細胞間の電気化学的なイオンの移動から生じる電気信号として符号化されているため、外部からの刺激がこのような分岐したネットワークを伝搬すると、異なる神経細胞の接合部でランダムなイオン伝達が行われます。これにより、入力された情報は、異なる空間点で記録された時系列信号として出力され、情報処理の最大化と効率的な学習が可能になります。


図2:RCデバイスと把持物体認識の様子

図2:RCデバイスと把持物体認識の様子


まずRCデバイスとしてSWNT/Por-POMを利用し、簡便なRCタスクである波形生成を行ったところ、最大精度は90%でした。これに加えて、把持物体の認識という更に複雑なタスクも実施しました。どちらのケースでもシステム構成は2段階で、初段は複数の動的出力が処理されるインマテリオのSWNT/Por-POMリザバーを構成し、次段でソフトウェアによる学習を行わせました。物体分類のための入力信号はトヨタHSRが異なるおもちゃを把持して得られた触覚信号の時系列データで、それぞれの入力信号は、各電極で高い特徴量を持つ異なる時系列信号に変換され学習に利用されました。試行の結果、このデバイスは表面の硬さにかかわらず、すべての物体をソフトウェアRCとほぼ同等の精度で分類できました。

ロボットにAIを組み込むことは、将来的には特に高齢者や障害者の介護などの点で非常に重要です。カメラ画像による物体認識は一般的に行われていますが、光量が少ない環境では誤判定が起こります。そのため、物体把持作業では、触覚センサーの併用が強く推奨されます。そのためには、生物学的なインターフェースで効率的な計算を実現できる、マテリアルベースのRCが賢い選択だということが今回の結果で示されました。インマテリオRCデバイスの成功により、AIシステムの更なる発展の可能性を示すことができました。


■ 今後の展開
九州工業大学を中心とする研究チームはRCへの応用を目指し、SWNT/Por-POMネットワークデバイスを作製しました。SWNTとPor-POMのランダムネットワークをアルミニウム電極パターン上に形成して電気測定を行ったところ、Por-POMの固有の電子的な充放電特性に由来する特徴的な非線形ダイナミクスを示しました。このデバイスをRCに適用し、トヨタHSRが収集した感覚データの信号を用いて物体認識テストを行った結果、正しく認識することに成功しました。SWNT/Por-POMは、近い将来、脳と同等の情報処理能力を持つと期待され、時系列予測や音声認識など他の複雑なAI問題に応用することが可能になります。


*1 単層カーボンナノチューブ(SWNT):カーボンナノチューブ炭素のみで構成されている直径がナノメートルサイズの円筒(チューブ)状の物質である。炭素原子が六角形に配置されたベンゼン環を平面上敷き詰めるように並べたシート(=グラフェン)を円筒状に丸めた構造を有する。この筒が1層のものがSWNTである。
*2 ポルフィリン(Por):窒素を1つ含んだ五員環化合物(ピロール)4個が炭素原子4個と交互に結合した大環状平面化合物の総称。野菜、果物、肉(血液)など色を帯びる物質中で、ヘムやクロロフィルなど極めて重要な天然色素の基本骨格として存在する。
*3 ポリオキソメタレート(ポリ酸、POM):オキソ酸が縮合してできた陰イオン種であり、3族以外の前期遷移金属元素に多い。金属元素からなるポリ酸は金属酸化物の分子状イオン種であるとみなすことができる。化学式が[M?Oy]?? で表される分子を指す呼称で金属オキソ酸とも言う。


*4 リザバー演算(RC):現在のAIシステムの主流となっている人工ニューラルネットワーク(ANN)の一種で、各階層で信号のフィードバックを許容したシステムをリカレントNN(RNN)とよび、音声?動画認識や株価予測といった時系列に変調される情報の処理に適する。図3(a)はRNNの典型的な構造を示す。リザバー演算(RC)はRNNのうち出力層までの積和演算を有する中間層をすべてブラックボックスとする様式で、単純な入出力機構とネットワーク構造(リザバー)から成る(図3(b))。RNNに比べRCの優位性は、中間層の各ユニットにおける結合重み計算(図3(a)挿絵)が計算機上で不要であり、消費電力を低減できることにある。近年、田中らはこれまでにAg/Ag2Sコアシェルナノ粒子ランダムネットワーク[1]や伝導性ポリマーネットワーク[2]を利用し、ランダムネットを有する電気回路を作製し、多電極を施すことでリザバー演算により任意の波形生成に成功、RNNとして利用可能なことを確認し、SWNT/POM周辺技術を含め特許出願した[3]。[1]H. Tanakaら, Jpn. J. Appl. Phys. (2021). [2]Y. Usami, H. Tanaka et al., Adv. Mater., published online. (2021). DOI:10.1002/adma.202102688. [3]田中ら、特願2020-174660、3次元電気素子.



*5 インマテリオ:「物質内で」という意味である。ここではコンピュータが演算する代わりに、マテリアル自身が演算を肩代わりする意味で用いる。
*6 非線形伝導:電気伝導率が、加えられた電場強度によって変化する伝導現象(電流電圧変化が直線的にならない)。半導体に強電場を加えたときに多くみられ、その機構は物質により、また電場強度により異なる。キャリヤの温度が格子温度にくらべて上昇する熱い電子状態の形成は、その原因の1つである。この場合、キャリヤの平均速度の増加による緩和時間の変化や、電子構造に多谷構造がみられるSiやGaAsでは各谷に分布するキャリヤ濃度比の変化が非線形伝導をひきおこす。極端な負性抵抗が生じると、発振現象もおきる。
*7 負性抵抗(NDR、バイアス上昇時の電流減少):ある種の電気回路や素子が持つ特性で、端子間に加わる電圧が増加すると流れる電流が減少することを言う。通常の抵抗器において印加電圧が増加時にオームの法則により電流も比例して増加し、抵抗値が正となるのとは対照的な振る舞いである。正の抵抗に電流が流れると電力を消費するが、負の抵抗は特定の条件下で電気信号の電力を増加させて増幅機能を担うことができる。
*8 電気化学インピーダンス法(EIS):電極に電位(電流)信号を入力し、その応答電流(電位)を解析する。正弦波状入力信号とその応答を比較することで、物質内のインピーダンス(またはアドミッタンス)の周波数依存性を決定する。インピーダンスの周波数依存性を測定することにより、物質内の等価回路特定のために用いる。


■ 論文の詳細情報


タイトル “Emergence of In-Materio Intelligence from an Incidental Structure of a Single-Walled Carbon Nanotube–Porphyrin Polyoxometalate Random Network”
著者名 Deep Banerjee, Takumi Kotooka, Saman Azhari, Yuki Usami, Takuji Ogawa, James K. Gimzewski, Hakaru Tamukoh, Hirofumi Tanaka*
雑誌 Advanced Intelligent Systems
DOI 10.1002/aisy.202100145

※ 本研究は、JST CREST(JPMJCR21B5)及びJSPS科研費(JP19K22114、JP19H02559、JP20K21819)の支援を受けたものです。また、文部科学省ナノテクプラットフォーム事業(北九州産業学術推進機構、山口大学)による技術支援を受けました。



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 E-mail: tanaka*brain.kyutech.ac.jp

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